📚連載の趣旨
インディペンデント・カルチャー・マガジンANTENNAが発行する雑誌『OUT OF SIGHT!!!』の新号制作が本格的に始まりました。3冊目のテーマは「地域と芸術祭、あの前後」。このメールマガジンでは、今号より制作に関わることになった大城が『OUT OF SIGHT!!!Vol.3』の企画から、制作、そして流通するまでを追っていきます。
🤔見たことがない景色に向き合う。できる限り、誠実に。
深くまで足を踏み入れたことのない土地の景色や感触はあまりにも不明瞭で、想像することもままならない。見たこともないことを、知りもしないことを、ぼんやりとした憶測で書き連ねることは少し憚られるように感じられて、できる限り誠実に調べて書こうとするが、たとえ誠実に調べたとしても、本当にそうなの?という疑問を思い浮かべずにはいられない。一次情報の少なさに途方に暮れて、調べることから逃げてしまいたくなる時もあるが、このチームが追い求めていることを知りたい気持ちもある。知らない土地にある何かを知りたいと思うことは私も止められずにいるのだろう。
5月が始まってすぐのこと、ANTENNAで台湾の芸術祭『ロマンチック台三線芸術祭』が今年の夏に2回目の開催を迎えることを予告する記事を執筆した。台湾へ行ったことすらなかった中で書き上げた、桃園から苗栗付近までを走り抜けている道路『ロマンチック台三線』を舞台に行われる芸術祭の内容を書いた記事だった。
https://antenna-mag.com/post-64690/
ドキュメントに文字を打ちながら、書いた文章が本当に正しい情報かどうかを、マークを引き根拠をコメントで残しながら、妥協しないように書いたことを覚えている。あるキーワードを検索し、ヒットした時はその関連記事を読み込む。記事の中で固有名詞が出たらSNSから人物やグループ、場所やことを検索する。こうしてひたすら集めた情報は原稿の下に書き留めて、原稿がリンクで真っ青になるまで調べ尽くす。それぞれの情報を照らし合わせて取捨選択し、クロスワードのように原稿の空欄部分を埋めていき、プロジェクトリーダーの堤さんに見てもらい、2週間ほどかけて書き上げた。
後々、この芸術祭はOUT OF SIGHT!!!の取材対象となるのだが、このイベントに注目することに対しては執筆に着手し始めた頃から懐疑的な意識を持っている。自然との付き合い方や暮らしの普遍的な営みを人間という大きな枠で捉える芸術祭は多いように思うが、この芸術祭は人間という枠からさらに絞って客家民族をクローズアップしている。地域の民族を主題にすることは地域への解像度を高くすることにつながる。内容は肯定できても、ポップなホームページ、車を使っての移動、力の入ったプロモーションから異質な雰囲気を感じて、少し自分とは距離がある芸術祭だと感じていた。この祭に芸術は必要なのか、そもそもこのイベントを芸術祭と呼んでいいのか云々....そんなことを考えながらも制作は進んでいく。私と同じようなことを堤さんや岡安さん、小林さんは感じているのだろうか?
🤔自分たちだけの世界地図
5月31日には、Miroというボードツールを使ってコンテンツや企画を挙げる話し合いを行った。地域と芸術祭について気になること、知りたいことを、疑問に思うことを挙げながら付箋を貼っていく様子は、自分たちだけの世界地図を作っているように見えて面白い。
・芸術祭は観光資源になり得るのか
・産業との紐付き
・台湾におけるアートの位置付け
・芸術祭はなぜ批判の的になりやすいのか
・芸術を呼び込むランドスケープとは 「海」「山」
・私は芸術祭のここが分からない
・お金と信仰
・暮らし、食、宗教
・芸術祭のグラフィックデザイン
・民族の若者
こうして挙げたいくつかの疑問や関心をロマンチック台三線芸術祭への企画へと紐付けていき、最終的に5つの企画で進めていくことが決定した。その中で私は「台湾客家のアイデンティティ、お年寄から若者まで」という企画を持つことになり、8月の街中取材まで準備を進めていくこととなる。
これらの企画がテキストと写真によって紡がれ、質感を持った物体として綴じられている姿を、この段階では想像することができない。
🤔ものづくりのこと、雑誌を育てること
私たちは日々新しい情報を求めてインターネットにアクセスしている。簡単に欲しい情報を手に入れて、また新しい情報を欲しがる。それが当たり前で、モノや情報がものすごいスピードで消費されていくことを受け入れてしまう。
情報が私の目の前を、ものすごい量とスピードを持って駆け抜けていくこともある。通り過ぎていく大きな情報の波を追いかけながら、ついには追いつくことはできずに、ぽつんと取り残されてしまうことがある。波に呑まれることもなく、ただどこまでも広がる水面にぷかぷかと浮かんでいるだけのような生活は楽ではあるが少し苦しい。
その状況に少しだけ抗う手段がものをつくることで、雑誌をつくることはものづくりのひとつだ。情報が掲載された紙を重ねて綴じた立体物は、中身の情報だけではなくその内容を枠づける質感もひとつの情報となる。それは紙の手ざわりだったり、重みだったり、ページをめくる時の感触だったり、手にとってみてはじめて受け取れる情報。その情報こそが、雑誌や本が持っている価値だと思う。
それから、ものづくりは花や野菜を育てることと似ているかもしれない。水や肥料が実を作る糧となるように、悩みや考えやアイデアが制作物をつくりだす。悩みや考えの発生と、その考えに対するさらなる考えや疑問の発生の繰り返しで、何かをつくるということが進んでいく
私が持っている企画も前へ進めないといけないが、どうも上手くいかない。企画のイメージがなかなか出せないことを堤さんに会議の中で相談した時、イメージが湧かないのは手を動かさずに頭の中だけで考えているからだと教わった。とにかく思いつく限りの案を書き出すこと、可視化すること、誌面イメージをいくつ書きか出してみること。
考えを発酵させるものづくりもあるけれど、自分たちのプロジェクトが考える「つくる」は前へ前へと進めなければ枯れてしまうものづくりだ。頭の中だけでアイデアを考えても思い浮かんでは消えていくことの繰り返しになる。手を動かして書き出しては作り直して考えて、雑誌をつくる大きなプロジェクトを枯らさないように育てていきたい。
大城咲和 プロフィール
2002年生まれ。京都市立芸術大学 美術学部 総合芸術学科在学。今年の春からANTENNAスタッフとして記事の執筆などをしています。つよくてやさしい言葉が好き。暮らし時々アグレッシブ。休日は窓のない部屋で本を読んでいます。